1986年 伊豆大島 全島避難の謎

(横須賀市の”ダイヤのジャック”さんより)

1986年 伊豆大島 三原山の噴火と全島避難は、まだ皆さんの記憶に新しいことでしょう。
三原山は、過去250年に一回大噴火を繰り返しています。
果たして、1986年の噴火は大噴火だったのでしょうか。

三原山は、活火山です。
1986年、噴火を始めました。
三原山の噴火は、火山弾は少なく溶岩が流れでる、珍しいカルデラ火山です。

大島の地形については、下の図を見てください。


噴火の専門家の計算では、三原山が噴火したとしても、流れでる溶岩の量は、
決して外輪山を一杯にして、溢れだすものではないということでした。

事実、その予測は正しかったのです。
だから、島民は「御神火様!」と言って、噴火の様子を眺めていれば良かったんです。

と・こ・ろ・が・、予期せぬ事が起こりました。
三原山外輪山に上がるバス道の辺りが、突然噴火を始めたのです。
小さな噴火口がたくさん爆発を始めて、これが俗に言う「割れ目噴火」でした。

そして、さらに悪い事には、その溶岩流が、島一番の町 元町に向かって流れてきたのです。
実際、その流れは元町の民家の300m手前まで迫っています。

折悪しく、夜中の出来事でした。
元町の住民にとって、それは恐ろしい眺めに見えた事でしょう。
まるで、大島全体が巨大な溶岩に取り巻かれているように見えたのだと思います。

そして、大島 全島民の避難があったわけです。
正月も、彼らは避難所暮らしを強いられました。
島の筆島の海水変色といい、空港の滑走路のひび割れといい、
様々な出来事が新たな噴火の前触れととられました。

これが、1986年 大島 三原山噴火と、全島避難の真相です。
もちろん、250年に一回の大噴火の周期とは、一致しておりません。